これまで、ブリーフの持つ属性に注目しながら、なぜ男子にとってブリーフは恥ずかしいものなのかについて考察してきました。しかし、実際のところは、別に、ブリーフが白いからとか、大人から与えられたものだからとか、事件の犯人が身に着けていたからとか、そういう理由でブリーフを卒業していったわけではなかったはずです。もっと単純に、「そういうものだから」という漠然とした理由で、トランクスやボクサーに乗り換えたのではないでしょうか?
つまり、世の中の男子に共通して、「ブリーフは卒業するもの」という認識が確立しているのではないかと思います。
では、なぜそのような認識が強固なものとなり、多くの男子にブリーフを捨て、トランクスを穿かせるという行動に走らせるたのでしょうか?
一言で言うと、「ブリーフを穿いているといじめられる、バカにされる」という常識が、男の子たちの間であるためではないでしょうか。
子どもの社会というのは大人からは認識しづらいもので、その社会の中の常識、何が良くて何が悪いかの価値観は、一般的な社会通念を大きく逸脱したものであることも多々あります。それは、大人になった皆さんも一度は通った道であると思います。
ブリーフ=悪、なんていうことを教えた大人は、おそらく誰もいません。しかし、子どもたちのコミュニティの中では、ブリーフは悪とされたのです。その理由は、おそらく最初は、①~③の記事内で考察したような内容が発端だったのでしょう。しかし、時間が経てば理由なんてどうでもよくなるもので、ただ単純に「ブリーフ=ダサい、穿いてるといじめられる」という認識だけが最終的に残ったのでしょう。
よく似た話はいくつもあります。ネット上で有名なのが「ランランルー」。これは、マクドナルドのマスコットキャラクターであるドナルド・マクドナルドが「嬉しくなるとついやっちゃう」掛け声、リアクションのようなものであり、もちろん悪い意味は微塵もありません。ところが、この言葉は一時期、多くの小学校において悪意のある言葉として用いられていたそうです。
そして、その理由については、多くの人が研究・考察を行っているものの、未だ謎のまま。ランランルーがなぜ他者攻撃の言葉であるかの理由付けは子どもたちにとってはどうでもよく、ただ悪口として面白かったから広まったのでしょう。
ここまでブリーフ否定派が多い理由について考察してきましたが、筆者も含め、男子がブリーフを恥ずかしいと思うことには、実際には深い意味や理由は無いのかもしれません。ただ、男子のコミュニティ内で長い時間をかけて醸成された常識を、我々の世代、そしてその次の世代が脈々と受け継いだ結果、ブリーフ=恥という認識が多くの男子に共有されるものとなったのでしょう。